親心

昨日は体育館でのトレーニング⚽️火曜日、雨で練習が中止になり、昨日がペレーアFCの初蹴り⚽️
あくまでもチームとして。

 


この3連休、立て続けに試合を入れた。


普通(あくまでも個人的な感覚だが)は、目前に試合(公式戦と練習試合)が入っていれば10日間動いていないってことはありえないし、そんな選手がいないことを願うし、動いていると信じよう!


さらに、普通(何度も書くが個人的感覚)は、サッカーが好きであれば上手くなりたいとか頭で考える前に、いつのまにかボールを蹴っている子供が結果的に上手くなっているんだろうね。


遊びも大事。
ダメと分かっていてダメなことをしたくなる年頃。
みんなが遊べない時間に遊んでいるのがカッコいいと勘違いしてしまう年頃。
ただただ馬鹿な言動も、友達と一緒の空間にいるだけで楽しく感じてしまう年頃。


比較的、父親の方が母親より理解出来るのだろう。
男と女の感覚的なものがあるのか分からないが、単純に自分の過去を振り返ると重なる部分があるから。


やんちゃな奴は良くも悪くもパワーを持っている。
そのパワーを何に向けるか!?
サッカーをすることで道を外れているのなら、サッカーを辞めれば解決するだろう。
辞めた後、そのパワーを勉強に向けるかどうかは本人次第。
そう考えると、何が原因か?の答えは出ているような気がする。
今より少しでもいいから、自分のために、家族のために、仲間のために責任を持つことだ。
責任を!


やんちゃな奴に罰を与える。
チームを守るためにそれも必要な時はあるだろう。
だが、その本人が「罰を与えられるから◯◯をしないようにしよう」というのは本質がズレている。
数年前の公式戦当日、目を見て挨拶が出来なかった選手2人を「しっかりと挨拶が出来ていない選手は試合に出さない」と伝え、その日の2試合は1秒も出さなかった。
なぜなら、挨拶と10分前行動は何度も伝えていたことだから。
もちろん、コーチが挨拶出来ない、コーチが時間を守らない、コーチが約束を守らないのなら、それをチームの規律にしても形だけのものになってしまう。
挨拶が出来なかった選手を公式戦に出さなかったことで、選手にもこちらの本気度が伝わる。
ただ、しっかりと挨拶は出来る様になったが、少しの間、不自然(?)な挨拶になったことを思い出した。笑
これも本質はズレている。
ただ、コーチングとティーチングの使い分け。
今一度、自分自身、考えてみよう。


話は変わり、
個人差はあるが中学年代の反抗期は多い。
認める認めない、許す許さないは別にして、多ければ不思議なことではなく自然なことなんだろう。
「うちの子に限って・・・」「うちの子だけは・・・」から、他人の子供と比べ自分のイメージや理想に近づけようとするある意味大人の愛情、その負担(圧)は当然子供に向かい、より子供は反発するかもしれない。
今の子供は賢い。ズル賢い。
本当によく大人の顔色(本気度)を見ている。
何をしても難しい時期はある。(と思っている)
大人(特に親)の愛情がストレートに言えば鬱陶しいんです。
愛情と書いたが、これは大人の私たちの立場からすればそうかもしれないが、たぶん子供はそうは思っていないだろうね。苦笑
ただ、その鬱陶しい愛情が「愛おしく」は言い過ぎかもしれないが、ありがたく感じてくれるときは来る。
今まで、たくさんの保護者や選手、指導者や仲間に出会い学ばせていただきました。
30歳の時は今とは違う考え方だったかもしれない。
今、46歳。
10年後、また少し違った考えになっているかもしれない。笑

 

 


まとまりがなく、言いたい放題だけど、まっ、あくまでも個人的に語る場だからね。

 


最後に、やんちゃな子供もマジメな子供も、みーんな母親から産まれてきている。
母親は偉大なんです❗️